2011/10/15

 2011年9月台湾旅行の記録

神旺商務酒店の部屋から見える公園に鳥居が二つ並んでいるのが見え、気になったので見に行ってみました。公園は、南京東路と林森北路が交差する場所にあり、「十四號公園」「十五號公園」と並んでいます。Google Mapでは「十四」の方しか載っていません。「林森公園」ともいうそうです。



鳥居の反対側にある赤い看板のビルが神旺商務酒店です。鳥居の背後には欣欣百貨があります。ぱっと見、近代的で、きれいに整備された憩いの場的な公園ですが、歴史が詰まっていました。


鳥居の横にある案内板を下記に引用します。丸写しなので、日本語が少し不自然な箇所もあります。

林森、康楽公園の所在地は昔に、「三板橋」と呼ばれていた。清朝時代、ここには兵舎が設置され、日本統治時代(以下:日治時代)初期からは次第に墓地になってきた。1896年、第三代総督である乃木希典の母親がここに葬られたことにより、日本人専用墓地に転じていたが、1900年には正式に共同墓地に定められた。戦後、ここは中国大陸の舟山、海南などのところからやってきた軍人たちの避難所になり、公園予定地であった場所にも、千何軒の違法住宅が集まっていた。1997年、台北市政府が公園整備を始め、公園内の整備のほかに、元来ここにあった明石総督の墓を台北県三芝郷のキリスト教墓地に改葬させた。二つの鳥居も一時ニニ八公園に移されたが、2010年10月には再びここに戻された。

日治時代に三板橋墓地には鳥居が三つ存在していたが、90年代の時に大小二つだけが残った。鳥居の形はともに「神明鳥居」である。二本の立て柱が丸い「亀腹」に置かれ、一番上にある梁は「笠木」であり、下層で立て柱を固定するのは「貫」と呼ばれる。今日まで、大鳥居は既に、第七代総督である明石元二郎の墓に付くものと確認され、第八代総督の田健治郎により、1920年の明石総督年忌日の前に建てられた。しかし。小鳥居の方は、柱には「昭和10年」(即ち1953年)という刻銘があり、調査の後、鎌田正威の墓に付くものと推測された。

明石元二郎は1864年に、福岡県の武士である明石助九郎の次男として生まれた。陸軍大学校を卒業し、陸軍近衛師団参謀を経て、フランス、ロシア、ドイツ公使舘付武官、韓国憲兵隊司令官、統監府警務総長などの職務を担っていた。1918年6月、明石氏は第七代台湾総督に就任し、民政長官の下村宏の協力で、司法制度の革新、台湾教育令の発布、日月潭水力発電事業の確立、台湾電力会社の設立、中部海岸線鉄道と東西横貫道路の開設、「公設質舗」制度の実施などの政策を成し遂げた。当時、鎌田生威は同氏の秘書官であった。1919年10月、同氏は総督の任期内に福岡で病没したが、その遺言に従い、遺骸はわざわざ台湾に移され、台北の三板橋日本人共同墓地に埋葬された。そして、同氏は歴代台湾総督のうち、唯一台湾の土地に葬られた総督になった。

大、小鳥居は、市民共同の歴史的な記憶とし、深く文化財の価値があり、重要たる都市歴史文物の保存と、地方や文化界からの声に応え、改めて林森公園内に移転された。
こちらのサイトで違法住宅撤去前の画像があります。
http://www.uro.gov.tw/2007face/2007_competetion/p4_05.htm

日本でのニュース記事も、そのうち削除されそうなので引用しておきます。2011年1月3日 asahi.comより

元台湾総督、明石元二郎の墓の鳥居戻る 台北

【台北=村上太輝夫】日本の植民地だった時代の台湾で第7代総督を務めた陸軍大将、明石元二郎(1864~1919)の墓の鳥居が、当時日本人墓地だった台北市中心部の公園に戻された。現地の日本人や台北市民の間で話題になっている。

明石は日露戦争開戦前、ロシア駐在武官を務め、反ロシア帝政組織への秘密資金援助などを通じた情報工作で活躍した軍人。司馬遼太郎の「坂の上の雲」にも登場する。

だが、台湾では近代化に尽くした総督として知られる。1918年に就任、翌年には故郷の福岡で病没する。短い在任ながら、台湾人が高等教育を受けられるよう制度を改めるなど実績を残した。遺言に従い、台北の日本人墓地に墓が造られ、鳥居が建てられた。

戦後、日本人が去り、中国大陸から渡ってきた人々がこの墓地に住みつくと、明石の墓の上も粗末な住宅が建ち、鳥居は物干し場と化した。1997年、公園として再整備した際、鳥居は市内の別の公園に移され、明石の墓は台北郊外の三芝に改めて造られた。

鳥居を戻そうと言い出したのは地元の里長(町内会長)の王金富さん(62)だ。40年前から近くに住み、墓地が変わり果てても日本人が訪れるのを見ていた。明石については「福岡で死んでも台湾に戻ってきたと知って、感動した」という。「この公園は日本人客が使うホテルや免税店の近くだから、見てもらうのにいいと思う」

王さんの提案を受け陳玉梅・市議が市政府に掛け合った。植民地支配の責任者を顕彰することに異論もあった模様だが、陳さんは「明石さんは台湾を愛した。その心を大事にしたい」と話す。
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